前回の投稿「方位の影響 ~私に実際に起こったアンラッキーな出来事~」では、ヘビー過ぎる内容を書いてしまったため、今回は前向きになれるような、希望のある話をなるべく書きたいと思います。
ただ、これだけはお伝えしたいのですが、あのような具体的な悲しい体験を書いたのは、私が不幸自慢をしたい訳では決してなく!
私と特定されないように微妙に詳細をぼかしておりますが、盛ったりする事はもちろんなく!
方位の影響について興味の無い方や半信半疑の方に「信じて!」とまでは言わないものの、
「五黄殺・暗剣殺・破の方位だけはなるべく避けてみて!!!」(何ならついでに吉方位試してみて!(小声))と言いたいのです。
だって、あんな辛い思い、しない方が良いに決まってます。
あれから七年経ち、真っ暗闇の中に居た、花が枯れていく事ですら悲しくて泣いていた私は、また心から笑えるようになり立ち直る事ができました。
ベッタベタ過ぎますが、時間が解決してくれました。噂は本当だった…。
普段、忘れっぽいのを気にしている私ですが、この件に関しては「人間が忘却の生き物で良かった」と思います。
立ち直るために何をするでもなく、毎日思い出しては泣いていましたが、無理に前向きにならずにとことん落ち込んで、その間は友人に会わず、家族だけには気を遣わず本音を言って悲しませたり心配させたりして後悔して凹んで、寝て食べて寝て食べて食べたくなければひたすら寝て…。
徐々に普段の生活を取り戻すとともに思い出さない時間も増えていって…。
その思い出さない時間が増えていく事も、当時は悲しいような、自分を許せないような気がしていましたが、数年経った頃には「辛い経験を忘れていくのは悪い事じゃないから許してね」と、おりんを鳴らしながら天に祈れるようになりました。
最初は「月命日」に毎月必ずお花を飾りました。
それが3年目くらいから「一年に一度の命日だけでいい」と思えるようになり、
それでも「命日」だけは一緒に過ごした思い出の地を辿りながら一日中泣いていたのが、5年目くらいから「無理に悲しい思い出を辿らなくていい」と思えるようになりました。
そして直近の7年目には、良かった思い出だけをなるべく思い出すようにして、目にジワリと涙の粒が浮かぶ程度で済むようになりました。
法事って奇数年に行われますが、気持ちの整理にちょうど良いタイミングで考えられていたのでしょうか…。
世の中には私よりももっと辛い思いをしている人も沢山いると思いますので、私の話が参考になると思うのはおこがましいですが、少なくとも同じような体験をされた方の救いになれたら、と願います。
私も当時は、ネット上で近い体験をされた方の話を読み、「私だけじゃない」と思える事で少なからず救われていたのです。
そして、少し気持ちに余裕が出てきた頃に、「私が自分の子供の事でここまで悲しい思いをしたという事は、同じ悲しみを親に感じさせる事があっては絶対にいけないんだ」と思いました。
辛くても生きて、「生きる事」を全うしなければいけないんだなと。生きるのは辛い事なんだなって。それでも親兄弟や夫のため、私を大切に想ってくれる人達のために頑張って生きるしかないのだと。
念のため言いますが、今は「出来るだけ長生きしたい」と思えていますよ。
100歳まで生きていたら、火星に住んだりUFOに乗ったりできるかもしれませんからね。
この経験において「良かった」と思えるような事は、当然あるはずはないのですが、1つだけ…
呑気に生きてきて、大した挫折を味わった事の無かった私が、人の痛みが少しは分かるようになれた事は、良かったのかもしれないと思うのです。
それぞれ皆その立場にならなければ分からないような苦しみを抱えて生きているのかもしれない、という相手の立場を想像してみる気持ちが生まれました。